じぶんの木

  • 2020年3月6日
  • 2020年3月7日
  • 絵本

今日アウトプットするのは、「じぶんの木」。
最上一平さん作、松成真理子さん絵の絵本です。

以前、ブログでも書いた「子ぎつねヘレンの10のおくりもの」を読み終わった時のように・・・・・誰にでもいつかおどずれる、大好きな人たちとのお別れの時に・・・みおくる方も、みおくられる方も、この絵本を読むことで、その時がきた時、すこしだけ強くなれる、すこしだけ元気にしてもらえる、そんな絵本だと思います。

(ここから、絵本の内容にふれます)

主人公の「わたる」がすんでいるところは、いくつもの山を越えた先の、その奥の奥です。
その村では、こどもの数はどんどんへりつづけ、今ではその村の小学生は、わたる一人きりになってしまいました。
なので、わたるにとって、村で一番の「友だち」といえば、「伝じい」という、93歳になる、わたるのひいおじいちゃんなのです。

そんなある日、伝じいは、急に具合が悪くなり、町の病院に入院することになりました。
ベッドに寝たきりになった伝じいは、だんだん元気がなくなっていくようにみえました。
小学校二年生のわたるは、小学校から帰ってくると、伝じいの入院している病院に、自電車で1時間かけて通いました。
自転車をこいでいる間、わたるは伝じいのことを、いろいろと思い出しました。

伝じいは、小学生のわたるに、これまでいろいろな話をしてくれました。
わたるは、その話を聞くのがとっても楽しみでした。

たくさんの話の中でも、伝じいが「熊撃ち」だった頃の話が、わたるがとても大好きで、何度も何度も繰り返し、その頃の話しをしてもらっていました。

それは、50年前のこと、伝じいが、村で最後の「熊撃ち」とか「鉄砲撃ち」だとか言われていたころの話です。
伝じいは、鉄砲撃ちをしている間に、32頭の熊を撃ったそうです。
熊をしとめると、伝じいはその場で、
「アブランケンソワカ、アブランケンソワカ・・・・・」
と、熊への感謝と、熊の魂を山の神に返すための祈りの言葉を、毎回かならずささげます。

そんな伝じいが体験した、「遭難しそうになって熊に助けられた話」や、「かしこい熊との、ちえくらべの話」や、「熊の親子の話」、「尾根の真ん中で熊とはちあわせした話」などの面白い話を、伝じいは、わたるに何度も話してくれました。
そして、いろんな話をしてくれた後、伝じいは必ずこう言います。
「ホンニ、熊はうつくしい生きものよ」


伝じいは、ここらへんで一番高い山「大朝日岳」が大好きです。
なので伝じいは、よく、その山の話もしてくれました。
「雪をかぶった大朝日岳が、まっかに燃えているように輝いている姿を見た話」や、「春、若葉がもえだしたころ、大朝日岳の中の木々がおしゃべりしていた話」などの不思議な話を、うれしそうに、わたるに話して聞かせてくれました。

伝じいとの、楽しい思い出をおもいだしながら、わたるはとうとう病院につきました。
わたるは、病室の前でドアを開ける時、急にこわくなりました。
勇気をだして、病室のドアをあけると・・・・・そこには見舞いに来てくれたわたるをみて、うれしそうにしている伝じいがいました。
わたるは、ほっとしました。
そして、今日も伝じいは、わたるにたくさんお話をしてくれました。
そして、わたるが帰る前に、伝じいがわたるにお願いをします。
「もういちど、大朝日のお山を見たかったなあ。わたる!今度ここに来るときに、おれの代わりに大朝日岳をみてきてけろ」

次の日も、わたるは自転車で、伝じいのお見舞いに行きます。
その途中で、昨日の伝じいとの約束をはたすため、とうげの所でいったん自転車をとめました。
そこから、ほんの少しだけ大朝日岳の頭がみえるのです。
大朝日の山は、まだ残雪で真っ白で、白く光り輝いて見えました。
わたるは、その光景をしっかり目にやきつけると、自転車にとびのり、急いで病院へ向かいました。


わたるは、病室の前につきました。
いきおいよくドアを開けると、すぐに伝じいに、
「大朝日岳をみてきたぞ!まだ真っ白だった!」
と、伝じいの顔をのぞきこむようにして教えました。
伝じいの顔は、ひさしぶりにみる、とびっきりの笑顔です。
「伝じいにも見せてやりたかったなあ。白く光ってたぞ」と、わたるがいうと、
「おまえの目玉を見ると、そこにちゃあんと、大朝日山のお山がうつってら。じいちゃんには、お山のすそで親子の熊が歩いているのまでみえるぞ!これで思い残すこともなくなった。」と伝じいがわたるに言います。
わたるは、「伝じい、死んだらいやだよ」と言いました。
すると・・・・伝じいが、わたるにお話をしてくれたのです・・・・


「人が生まれると、どこかにポット同じように木が芽を出す。なんの木か、どこの山かは、だれにもわからない。けれどたしかに、じぶんの木というものがかならずある・・・わたるの木も、じいちゃんの木も、どこかにあるんだ。んだからな、じいちゃんが死んだって、じいちゃんの木は、どこかで生き続けている・・・・だからちっとも、さみしくはねえのよ・・・」

このあと、伝じいは、この世をさります。
ですが、伝じいの話してくれた「じぶんの木」のお話のおかげで、伝じいが死んでも、わたるは、がまんすることができました。
そして、どこかにある「伝じいの木」のことを、あれこれと想像しながら、伝じいのことを思い出すのでした。

夜の読み聞かせで、この本を読み終わった時、長女が、
「じゃあ、〇〇〇さんや(3年前に亡くなった叔父さん)、ラブさん(5年前に亡くなったパグ犬)、の木もどこかにあるんだねぇ(*^^*)どこだろうね?」と、目をキラキラさせて私に聞いてきました(笑)
大切な人たちとのお別れは、残されたものにとっては、とてもとても悲しい出来事なんですが、考え方ひとつで、こんなにも心が楽になれることがあるんだなぁ・・・と、またひとつ、絵本をとおして、大切なことを教えてもらえました。


冒頭にも書きましたが、私にも、娘にも、まわりの大切な人たちにも、いつかかならず別れの時はおとずれるでしょう。
・・・その時がおとずれるまでに、伝じいのように、いろんなことを知り、感謝の気持ちをわすれることなく生きていきたい。
そして、伝じいのように、自分のまわりの大切な人たちの心の中に、ほんのすこしでも心が楽になれるようなことをのこして、私も、この世界を去っていけたらうれしいなぁと・・・・あらたな人生の目標をみつけたのでした(笑)。